【プロフィール】
氏名:アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)
生年月日:1975年6月8日(44歳)
出身地:アメリカ
身長:170cm前後(正式な身長は不明)
幅広い役柄を演じ、様々なジャンルの映画で活躍するアンジー。外見の美しさが注目されがちだが、演技力や役作りでも高い評価を得ている。アクション映画への出演が多かった彼女は、近年は母親役を演じることも多い。ディズニー映画『マレフィセント』では、コミカルな演技で新境地を開いた。
【幼少期】犬猿の仲である父親、その原因は?
芸能一家に生まれたアンジーは、幼い頃からエンターテインメントの世界と隣り合わせの生活を送る。恵まれた美貌を持つ彼女だが、注目されたのは父親との不仲説だった。
ジョン・ヴォイトとミシェリーヌ・ベルトランの間に生まれる
彼女の父親はアカデミー賞受賞経験をもつアメリカの俳優、ジョン・ヴォイト(Jon Voight)。母親は女優、声優として活躍したミシェリーヌ・ベルトラン(Marcheline Bertrand)。偉大な両親の元に生まれ注目の的となったが、生後間もなく両親が別居。この時アンジーはまだ1歳だった。
離婚後は兄とともに母親に引き取られ、3人で貧困生活を送っていたそう。母ミシェリーヌは、子育てに専念するため女優としての仕事を断念。それでも母親とよく映画館に足を運んでおり、この経験が演技への興味に繋がったのだとか。
「俳優として活躍する父親の影響は一切なかった」とインタビューで明かしている。
父との関係に深い溝が
両親の離婚の原因が父親の不倫だと知ったアンジーは、父をひどく恨んだそう。自分たちを捨て、母を苦しませた父親に対して幼いころから執念を抱いていたと後のインタビューで告白している。
いじめを受けうつ病に
さらにアンジーを追い詰めた出来事、それはいじめだった。細身で歯の矯正器具をつけていたため、容姿をからかわれていたそう。さらに母の収入の少なさから、ビバリーヒルズ高校のなかで居場所を見出せず、孤立していたのだとか。他人に心を開くことができなかった彼女は、幼いながらにうつ病に悩まされてしまう。
【10代】諦めきれなかった演技の道
父親の主演作『大狂乱』で映画デビューしたアンジー。子役からキャリアをスタートさせるも、一度は演技の道を離れまったく違う職業に就いたことも。
14歳(1989年)演技の道を離れる
子役として映画に出演していたアンジーだが、うつ病などに悩まされ一度演技の世界から離れることに。このとき彼女が選んだ将来の夢は「葬祭ディレクター」だった。
ファッションモデルとして活動
演技から離れたアンジーだが、スタイルの良さを活かしファッションモデルとしての活動を始める。ロサンゼルスやNY、ロンドンなどで活躍した。
自傷行為やドラッグに溺れていた
両親の離婚やいじめ、うつ病に悩まされていた彼女は、精神の不安定さからドラッグに溺れるように。10代前半からは、自分をナイフで傷つけるなどの自傷行為に走ってしまったそう。「ナイフで自分を傷つけると、生きている実感がわいた」と当時の心境を振り返った。
16歳(1991年)演技を再開
一度離れた女優の道へ戻った16歳。数々の俳優を世へ送り出したリー・ストラスバーク演技学校へ入学し、在学中にいくつかの舞台に出演。映画制作の勉強中の兄が制作した映画にも出演していた。
【20代】2度の結婚と離婚を経験
映画の世界に足を踏み入れた20代。着々と自身の存在を世にアピールし、スターへの道を駆け上がっていく。私生活では共演者との結婚と離婚を繰り返していた。
20歳(1995年)『サイバーネット』で映画初出演
高校生ハッカーの死闘を描いた映画『サイバーネット』で映画初出演を果たす。映画自体のヒットには繋がらなかったが、アンジーの演技力と存在感は『ニューヨーク・タイムズ』誌で大絶賛され、業界から注目されるように!
21歳(1996年)ジョニー・リー・ミラーと結婚
『サイバーネット』で共演した俳優のジョニー・リー・ミラー(Jonny Lee Miller)との結婚が報じられたアンジーは当時21歳。パソコンが苦手という共通点をもつ2人は、役作りをする過程で恋人になったそう。密かに行われた結婚式に立ち会ったのは、母のミシェリーヌと当時まだ新人だったジョニーの親友、ジュード・ロウの2人だけだったのだとか!
23歳(1998年)『ジーア/悲劇のスーパーモデル』での演技が評価される
アンジーを一躍有名にした映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』では、エイズとドラックにより短い人生を生きた伝説の女優、ジア・キャランジを演じた。この映画での演技は大絶賛され、ゴールデングローブ賞やエミー賞など名だたるアワードで賞を受賞する。
24歳(1999年)『17歳のカルテ』でアカデミー賞助演女優賞を受賞
精神病棟へ収容された人々の人間模様を描いた映画『17歳のカルテ』。すでに女優として成功していたウィノナ・ライダーが、主演と制作を務めた本作。ドラッグなどの問題をオープンに公言していたアンジーに惚れ込み、当時まだ新人の彼女を病院内のリーダー的存在の重要人物、リサ役に抜擢したそう!
「反社会性人格障害」と診断されたリサ役は、両親の離婚やいじめなどで精神を病んでいた自分と重なる部分があったそう。うつろで投げやりな態度のリサの演技が高く評価され、アカデミー賞助演女優賞を受賞したアンジー。外見の美しさだけでなく、演技力の高さも見せつけた作品となった。
ジョニー・リー・ミラーと離婚
アカデミー賞受賞と時を同じくして、ジョリー・リー・ミラーとの離婚を発表。約3年間の結婚生活だったが、現在も2人の関係は良好なよう。離婚の原因はアンジーの浮気と言われているが......?
『狂っちゃいないぜ』で2番目の旦那、ビリー・ボブ・ソーントンと出会う
1人目の夫ジョニーとの離婚話が進むなかで出会った映画監督、ビリー・ボブ・ソートン(Billy Bob Thornton)。2人は映画『狂っちゃいないぜ』に夫婦役で出演し距離が縮まったよう。なんと付き合いだしたのは、当時まだ夫であったジョニーと離婚する少し前からだったのだとか......!
25歳(2000年)ビリー・ボブ・ソートンと結婚
お互いに愛し合っていることを、常に周りに公言していたアンジーとビリー。出会ってから1年後の2000年に結婚。情熱的な恋愛観をもつ2人は「波乱万丈なカップル」と言われており、お互いの血をネックレスにして持ち歩いていた時期もあったのだとか!
人道問題に興味を持ち慈悲活動を始める
今でこそ人道活動家として知られるアンジーだが、最初のキッカケは映画の撮影でカンボジアを訪れたとき。現地の生活や人権問題などに直接触れたことで興味をもち、帰国してからUNHCR(国際難民高等弁務官事務所)の職員らとともに人道支援へ向かったそう。
26歳(2001年)『トゥームレイダー』で父と共演
人気ゲームの実写化映画『トゥームレイダー』では過酷なトレーニングを積み、主人公のララ・クロフトを演じた。「クロフトを演じるために生まれてきた」とまで言われるほど大絶賛され、アンジーの代名詞とまで言われるように。この映画では不仲とされる父、ジョン・ヴォイトとの共演も話題に!
『トゥームレイダー』のなかでジョンが演じたのは、アンジー演じるララ・クロフトの父、クロフト卿。実生活では不仲とされる2人の親子共演に「ついに和解か⁉」と世界から注目があつまった。
「私とジョンは撮影中ずっと泣いていた」と父との共演について語り、和解したことを告げたアンジー。しかしその後本名の「アンジェリーナ・ジョリー・ヴォイト」から「アンジェリーナ・ジョリー」へと改名したことを発表。2人の親子共演は、つかの間の和解に過ぎなかったのだとか......。
UNHCRの親善大使に任命される
『トゥームレイダー』の撮影でカンボジアを訪れたことで人道活動に目覚めたアンジーは、2001年から本格的に活動を開始。同じ年にはUNHCRの親善大使に任命され、40ヵ国以上の人道支援の現場に出向き、難民の状況を訴えた。
27歳(2002年)カンボジア人の養子マドックスを引き取る
カンボジアで出会った生後7ヶ月のマドックスを養子として受け入れたアンジー。「眠っていた彼が起きて、ニコッと笑ってくれた」と語る彼女は、これがきっかけでマドックスを養子として迎えることを決めたそう。
今まで自傷行為で自分を傷つけていたアンジーだったが、マドックスを家族に迎え入れたことにより、辛い日々に終わりがきたそう。「彼はわたしの人生を根本から変えてくれた」と心境を話した。
28歳(2003年)ビリー・ボブ・ソーントンと離婚
マドックスを家族に向かえ入れた翌年、激しい恋愛をともにしたビリーとの離婚を発表。離婚の原因について「今までビリーに注がれていた愛情が、子どもであるマドックスに注がれることにビリーが嫉妬した」と報道された。
【30代】ブラッド・ピットとの出会い。6人の子どものママに
名俳優ブラッド・ピット(Brad Pitt)と出会い、恋に落ちた30代。女優としても数多くのヒット作を生み出し、トップ女優の仲間入りに。私生活では実子を含めた6人のママになるなど、仕事ものキャリアも絶好調に。
30歳(2005年)『Mr.&Mrs.スミス』でブラッド・ピットと恋に落ちる
アンジーとブラッドが“大物カップル”となるきっかけになった映画『Mr.&Mrs.スミス』。お互いに暗殺者であることを秘密にしている夫婦を演じ、私生活でも惹かれあうようになった2人。しかしこのときブラッドには約5年間連れ添った妻がいた。
映画公開後から一緒にいる姿がたびたび目撃され、交際が囁かれていた2人。「大物カップルの誕生か」と注目を集め、アンジェリーナとブラッドの名前をかけ合わせた「ブランジェリーナ」という名前で呼ばれていた。
その後ブラッドが妻である女優ジェニファー・アニストンとの離婚を発表。離婚の原因については触れなかったが、アンジーはジェニファーからブラッドを奪った「不倫相手」として世界中からバッシングを受けることに......。
エチオピア人の養子ザハラを引き取る
しかしそんなバッシングを気にもせず、同年2人目となる養子、ザハラをエチオピアから引き取る。アメリカに来た際は、脱水症状と栄養失調、さらにはサルモネラ菌感染症により入院していたそう。アンジーの腕の中で気持ちよさそうに眠るザハラが、なんともかわいい。
31歳(2006年)実の娘シャイロをナミビアで出産
ブラッドとの交際を公にしないまま、2006年には2人の実子となる女の子、シャイロが誕生! アンジーの希望で出産の地はナミビア共和国だったそう。ちなみに同じ年の同じ時期にトム・クルーズの実子スリが誕生しており、マスコミからはよく「令嬢スリと野生児シャイロ」と比較されていた。
ブラッド・ピッドとの関係を公にする
実子が誕生したことで関係を公に認めた2人。ゴールデングローブ賞などのアワードに揃って出席し、大物カップルとして存在感を表した。この頃2人は「ハリウッドいちのパワーカップル」と呼ばれるようになり、アンジーに向けられたバッシングもなくなりつつあった。
もともと個人で寄付活動をしていたアンジーとブラッドは、2006年2人で「ジョリーピット財団」を設立。「国境なき医師団」や「世界エイズ連合」などへ寄付をしている。
32歳(2007年)ベトナム人の養子パックスを引き取る
シャイロを出産した翌年、ベトナムから養子パックスを受け入れた。4歳でアメリカに渡った彼は、最初は英語が話せなかったそう。そんなパックスにアメリカでの生活になじんでもらえるよう、アンジーは自分にできる全てのことをしてあげたと語った。
母ミシェリーヌ・ベルトランが死去
大切な家族を増やし、幸せいっぱいの彼女に悲劇が降りかかる。最愛の母ミシェリーヌが卵巣ガンにより約10年間の闘病生活の末亡くなってしまう。生前はアフガン難民の女性をサポートするなど、人道問題に取り組むアンジーのお手本となった人物だった。
33歳(2008年)『チェンジリング』で失踪した子どもを探すシングルマザーを熱演
衝撃の実話を映画化した『チェンジリング』で主演を務めたアンジー。失踪した息子と、全くの別人である子どもを取り換えられた母親を演じた。「子どもが誘拐される映画はやりたくなかった」と最初は出演を断ったそう。しかしどんな苦境にも諦めない母親の強さに惹かれ、オファーを受けたのだとか。
双子の子どもヴィヴィアンとノックスを出産
2008年にはフランスで双子のヴィヴィアンとノックスを出産! 実子を含めた6人の子どものママとなったアンジー。ヴィヴィアンはピンクが大好きな女の子のようで「わたしがピンクの物を買う日が来るなんて思わなかった」とインタビューで語っている。たしかに、アンジーがピンクを身につけている姿は見たことがないかも......。
34歳(2009年)「ジョリー・ピット基金」がパキスタンに100万ドルを寄付
アンジーとブラットのチャリティー組織「ジョリーピット基金」がパキスタンの難民救済のために約100万ドルの寄付をしたと発表。アンジーは過去に3回パキスタンを訪れており「住む場所がなくなった人々を救うために使って欲しい」と寄付金の希望を伝えた。
35歳(2010年)『ツーリスト』でジョニー・デップと共演
ジョニー・デップとの初共演で注目された映画『ツーリスト』。世界のトップスター2人の共演とコミカルな演技で人気を博し、アンジーはゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞! 撮影地のイタリアでは、アンジーとジョニーがお互いの子どもを遊ばせていたこともあったそう!
大地震が起きたハイチを訪問。100万ドルの寄付も
ハイチ共和国で起こったマグニチュード7の大地震により、31万人にも及ぶ死者が出た悲劇を知り、100万ドルを寄付。震災直後にはハイチへ出向き「国連ハイチ安定化財団」を訪問。ハイチからの難民を受け入れている隣国ドミニカ共和国の病院にも足を運んだ。
37歳(2012年)ブラッド・ピッドと交際7年目で婚約
実子を出産しながらも、パートナーとして関係を築いてきたアンジーとブラッド。交際7年目にしてついに婚約を発表! 婚約した理由は、子どもたちからの「早く結婚して」という言葉だったそう。
パキスタン、アフガニスタンの少女のために5万ドルを寄付
パキスタンの14歳の少女、マララ・ユスフザイが女性の教育の権利を訴え、襲撃された事件にひどく心を痛めたアンジーは、パキスタン、アフガニスタンの少女たちのために約5万ドルを寄付。この寄付金は、女性教育のために戦った女性、少女を表彰する賞の創設などに使われるそう。
38歳(2013年)両乳腺を切除。「アンジェリーナ効果」と呼ばれた
「乳がんになる確立が87%」と医師から告げられたことを明かしたアンジー。乳がんと卵巣がん予防のため、両乳腺の切除手術に踏み切ったことを『ニューヨーク・タイムズ』誌にて公表。
世界中的に大きな影響を及ぼしたこの手術の発表は「アンジェリーナ効果」と呼ばれ、乳がんの遺伝子検査を受ける女性の数が急増した。
39歳(2014年)『マレフィセント』が公開。娘ヴィヴィアンが映画デビュー
ディズニーの名作『眠れる森の美女』に登場するヴィラン、マレフィセントの知られざる素顔を描いた映画『マレフィセント』で主演を務めることに。年を重ねた彼女の、息を飲むほどの美しさとかっこよさに酔いしれる人が続出!
この映画ではアンジーの娘、双子の女の子ヴィヴィアンが、幼き日のオーロラ役で出演している。「自分のマレフィセントのメイクを見て、泣かなかった子どもがヴィヴィアンしかいなかった」と娘のキャスティングについての経緯を明かした。
【40歳~現在】病気を克服・3度目の離婚
おしどり夫婦と呼ばれたブラッドとまさかの離婚。2度目の手術。最愛の息子の韓国進学と、話題の尽きないアンジー。果たして彼女に平穏な時期は訪れるのか......。
40歳(2015年)卵巣と卵管の切除に踏み切る
2013年に乳がん予防のため手術に踏み切ったアンジーだが、定期検査で初期の卵巣がんである可能性が高いことが判明。母を含む3人の近親者が遺伝性の乳がん、卵巣がんで亡くなっていることから、卵巣と卵管の早期切除手術を行ったと公表した。
41歳(2016年)ブラッド・ピットとの離婚を申請
おしどり夫婦として世界中の憧れの的となり、6人のこどもとともに幸せいっぱいの家庭を築いてきたアンジーとブラッドにまさかの離婚報道が! 誤報であると信じたいファンの想いは虚しく、2016年に離婚の申請を行ったと発表された......。
44歳(2019年)マーベル映画新作『エターナルズ』に出演決定
ブラッドとの離婚騒動が原因で、なかなか表舞台に姿を表さなかったアンジー。そんな彼女が久しぶりに公の場に登場したのは、新作マーベル映画『エターナルズ』の制作発表だった! いまや映画界を席巻するマーベル映画への参加に「MCU(マーベル・シネマスティック・ユニバース)にふさわしいキャラクターを演じられるよう、務めます」と意気込みを語った。
ブラッド・ピットとの離婚が成立
3年間続いたブラッドとの離婚協議がようやく成立した2019年。一時は泥沼離婚とまで言われた2人だが、現在は平和な関係を築いているそう。その理由はブラッドとアンジーが愛してやまない6人の子どもたち。忙しいなかでも、子育てのスケジュール管理アプリ「Our Family Wizard」を一緒に使い、協力して子育てに育んでいるとインタビューで明かした。
『マレフィセント2』のプレミアに子どもたちが大集合!
大ヒットを納めた映画『マレフィセント』の続編『マレフィセント2』のLAプレミアに、5人の子どもたちを連れて参戦! 今まで自身の映画のプレミアには、ブラッドとともに出席していたアンジー。離婚後は1人になった母親を子どもたちが支え、家族の絆の深さを表した。
韓国の大学で勉強中の息子マドックスと日本で会う予定と話す
LAで行われたプレミアに唯一姿を見せなかった、長男のマドックス。実は2019年8月から韓国ソウルにある名門、延世大学へ進学していた。しかし、日本へ来日することが決まっていたアンジーは「息子と日本で会うことを予定している。あと2日でハグできるの!」と再会を心待ちしている様子!
養子2人を連れて『マレフィセント2』のプレミアムで来日
日本で行われた『マレフィセント2』のジャパンプレミアに、長男マドックスと長女ザハラを連れて登場したアンジー。劇中で血の繋がりのないオーロラを愛するマレフィセントを演じた彼女。自身のヒット作のプレニアの同伴に選んだのは養子の子どもたち。「家族であることは、決して血の繋がりだけではない」と、自分の家族を例に世界へ訴えた。